皆さん、GWは良い波に乗れましたか?
先日創業間もないころの写真を発見して(17年くらい前)、とても懐かしく当時を振り返ることができました。今回は弊社のルーツの一端を少しご紹介します。
話は1990年に遡(さかのぼ)りますが、NTTから“ダイヤルQ2”という音声有料サービスが始まりました。まだ、スマホはもちろん、インターネットもほとんど普及していない時代で、携帯電話はガラ系のみでした。
それまでの波情報は、サーフショップやNTTによるテレホンサービスのものしかなく、しかも1日に1回だけの午前11時ころの更新で、朝イチサーフィンには使えませんでした。このため、波を期待して日の出前に海に着いても、ドフラットの海に愕然とするなど数え切れないくらい波を外しました。(涙)
しかし、1990年7月にダイヤルQ2サービスが始まって信頼できる波情報がスタートしてからは、日本中のサーファーが利用するようになりました。波情報というサービスがサーファーに市民権を得たのはこの頃からです。もちろん、ダイヤルQ2が誕生していなければ、今の弊社は存在していません。
起業後のダイヤルQ2波情報『サーフゴーゴーイースト』は、徐々にエリア・更新回数を拡大してサービスを充実させました。翌年には『サーフゴーゴー千葉』が加わり、その後も『サーフゴーゴー東海』、『サーフゴーゴーウェスト』、『サーフゴーゴーワールド』と続いて、現在の波伝説の姉妹サイトで、漁師さんをはじめ数多くのマリンアスリーツにご愛用頂いている『マリンウェザー海快晴』のルーツとなる『海ダス』なんてコンテンツまでが加わりました。
サーフゴーゴーイーストと同千葉は、その後大人気のコンテンツに育ち、着信専用の回線数は各々20回線持っていました。台風の接近時などで波が上がりそうな休日の早朝には、20回線がすべて着信(全話)されることも少なくありませんでした。ダイヤルQ2に使用される音声応答装置は小さなサーバー程度の大きさで、入力する机の上に置かれていました。着信すると赤いランプが点灯しますが、20個すべてが点灯するとアドレナリンが上がったものです。
七里ガ浜にあった本社、といっても6畳くらいのスペースでしたが、七里ガ浜の海や富士山が一望でき、時にはサーファーのライディングを見ながら実況中継入力したことは、今となっては古き良き思い出です。
その後社員が増えて手狭となり、辻堂の海から200m位の今の場所に本社を移しました。
各々のコンテンツは、毎朝午前5時が最初の入力時刻で、その後はサーフチェックしながら各担当チェックエリアの途中や最後にあるNTTのISDN電話ボックス内で入力して、大体1日に6回くらいは情報を更新していたと思います。湘南は大磯と吉浜のISDN電話ボックスから入力し、千葉は勝浦と千歳にあるボックスを使っていました。ちなみに、なぜISDN電話ボックスなのかというと、音質が良かったことと、プッシュホン型の電話機のみダイヤルQ2機械への外部入力が可能だったからです。
波情報の雰囲気をよくするために、音声入力には必ずBGMを流していましたが、電話ボックスでは直接BGM入力ができないので、ラジカセをボックス内に持ち込んで電話機の上に置いて音を流していました。カセットテープ時代なので、テンポの良い出だし部分をPAUSE(一時停止)ボタンを押してカセットを止め、プッシュホンで外部入力電話番号をかけ、つながったら機械の暗証番号と遠隔操作番号を入れて、最後の入力開始ボタンを押したら速攻でラジカセのPAUSEボタンを外しました。ほぼアナログ操作で、出だしはBGMの音を大きく、すぐに絞って音声入力中は小さくし、最後は再び大きくしてフェードアウトして終了です。アナログ操作ながら結構テクニックを要しました。
主に早朝だけ外部入力をしましたが、時には海外から出稼ぎにきていたフィリピンの方などが、早朝は電話料金が安いので外で待つことがありました。大体入力するのに10分前後はかかります。ある時、電話ボックスの外で待っていた外国人男性がシビレを切らして、ボックスを外からガンガン叩かれて催促されたことがありました。入力を中断できないので入力し続けていると、さらに叩かれるといった感じでした。入力が終わってから丁寧にお詫びをしたうえで、サーフリポートを入力していたことを説明したら、納得してくれましたし、次回からは諦めて外で待っていてくれました。(笑)
現在でも、一部のポイントで波伝レポ動画(手撮り動画)が好評なのは、ダイヤルQ2時代のDNAが残っているからですね。
ダイヤルQ2時代から支えて頂いたサーファーの皆さんがいらしたからこそ、現在の弊社はあります。その後に誕生したモバイル&PCコンテンツ“波伝説”を、引き続きご愛用頂いている皆さまをはじめ、多くの愛用者の皆さまに、改めて、心から感謝申し上げます。(了)