サーファーズジャーナル最新24.3号(日本版5.3号)8/10発売!

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Portfolio: Rambo Estrada
「ランボー・エストラーダ」
ニュージーランド本来の特質を余すことなく表現した緑色系クオリティの最新作。
文:デレク・ライリー
ニュージーランドのフォトグラファーで、名前がランボー・エストラーダなんて変だよね。きっとランボーは本名でもないし、似てもいないだろうという予測がつく。ランボーの本名はハミッシュ・マセソン。現在40歳、人口3万人のベイ・オブ・プレンティーにあるマウンガヌイ山が彼の出身地。彼のカメラはニュージーランドの魂を語れるほどに雄弁だ。その色彩豊かな情景はまさにマジック。「N.Z.のバイブレーション、もしそんなものが存在するならば、ぼくはそれを感じることができるんだ」と彼は語る。
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「タイプ2の楽しみ」
ブリカ半島で経験したバニシングポイントの向こう側。
文:デビッドJ.モリス
写真:エリオット・ウッズ
「この自然界におけるすべての神秘的な出来事、それは森の中、険しいジャングル、野性味あふれる男の野心にかけ巡るもの…、絶えることのない後悔、現実から逃げだしたい願望、無力な嫌悪感、降伏、憎しみ…、すべての醜態(しゅうたい)でさえ魅力となる・・・」。作家ジェセフ・コンラッドの一節のような、多くの闇の商人が出没するジャングルにいた。私たち3人は、文明圏にとり残されたコスタリカ最後のサーフ・フロンティア、ほぼ手つかずの自然広がるブリカ半島の先端からパボネスまでを探検しにきていた。「タイプ2の楽しみ」とは、そんな過酷で最悪な状況のあとに、その思い出をふり返ったり、人に話したりするときに楽しくなるのだという。
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The Macaronis Chronicle
「ザ・マカロニ・クロニクル」
Part 1
Breaking the Twigs of Pasongan
「パソンガン処女遠征記」
1980年、当時まったく未知の領域だったメンタワイ諸島への遠征で、世界有数のレフトの波に遭遇する。
文:クリス・グッドナウ

1978年7月、クリス・グッドナウはマカロニ・ポイント開拓の旅をグラジガンからスタートさせた。ここはかつてカリフォルニア出身のマイク・ボイヤムとバニュワンギ警察署長とのあいだのいい加減な取り決めにより、世界に先駆けて開設された営利目的のサーフキャンプだ。旅の本来の目的は、インドネシアのどこかで割れている手つかずのパーフェクトな波を発見することだったが、皮肉なことにGランドへのサーフトリップは、それが達成できなかったときの代替案にすぎなかった。
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Part 2
The 30-Years Brief
「そして、30年後」
近代化(そして多くのサーファーたち)は、いかにして孤高(ここう)のパーフェクトウェーブを犯したのか…
文:フィル・グッドリッチ

「インドネシアにはこんな諺(ことわざ)がある“だれかの土地に踏み入って、落ちた枝を踏みつける前に、その土地の文化を理解しなければならない”」とクリス・グッドナウは、自らが発見したシラブやマカロニ・ポイントの周辺の村々で平和に暮らす人たちに害をおよぼすことを避けたかった。そして、ニアスのような事態、あるいはメンタワイ諸島で木材会社が辿ったような事態は回避したいと願っていた。その30年後の姿をフィル・グッドリッチがレポートする。
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“Asian Paradise”Revisited
「映画『アジアン・パラダイス』再考」
日本のサーフシーンが輝いていた、あの時代。
インタビュー&編:村崎健太

だれかのウェブページに掲載されていたひとつの記事が発端だった。日本でつくられた最初で最後のサーフィン映画『アジアン・パラダイス』。公開は1984年。それは日本のサーフィン界がもっとも輝いていた時代でもあった。以下はこの映画に関係した人々、この時代をサーフしていた人々が語る、そんな輝きの時代の証言集である。
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A Faith Born of Precognitive Adventures
「地球家族グッドウィンの冒険」
アーミオン・グッドウィンは普通では考えられない特異な生い立ちをもつ男だ。いままでに訪れた場所を再訪すべく、世界15ヵ国を巡る旅に出た彼と彼の家族。その旅をつうじて子供たちに継承されたグッドウィン一家の教えは、長編ドキュメンタリー映画になった。
文:テッド・レカス
アーミオンの父、アーロン・グッドウィンは、社会がますます過剰な物質文明に呑み込まれていき、自然界から隔絶していく様に耐えきれなくなり、幼いアーミオンを連れてそこからの脱出をはかる。親子はフィジーのとある村にたどり着き、アーミオンはそこの酋長の息子といっしょに育っていった。5歳になるころには、もうだれかに見守られていなくても、彼は自分だけで日々をすごすことができた。そしてフィジーから、ハワイのカウアイ島、ニュージーランドへと旅をつづけ、あるときはツリーハウス、あるときは海岸の洞窟に、あるいはインドの聖者カーパル・シンフのマウイ島やアイダホのアシュラム(修業道場)で暮らしてきた。そしてその30年後、プロサーファーとして生計をたてているアーミオンにも家族ができ、さまざまな文化圏で育った自分のように地球上を回り、子供たちに追体験させようと決意する。
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A Train Going West
「西へと向かう列車の中で」
オーストラリア・メディア界の父、ボブ・エバンス。彼がこの世を去って30年以上の月日が流れた。その存在感は、今も色褪せることはない。
文:ナット・ヤング
私にとって、ボブは師であり、実の父親以上に父親のような存在だった。ボブが私をある意味養子のように扱ったのは、彼がずいぶん年の離れた若い女性と結婚し、3人の幼い子供たちを授かったからじゃないか、と思っている。思い返せば、息子としても、波を追って旅する相棒としても、私はちょうどよい年頃だったのだろう。私たちが仲良くなったのは、1961年か1962年。私が思春期真っ只中の13歳か14歳の頃だ。ホームブレークのコラロイで私のサーフィンを見て、ある種の可能性を見出してくれたらしい。
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Jussis! It’s Hompong!
「ヤバイ!超~デカイ!」
はまってしまう、マダガスカルの魅力。
文:アンディ・デイビス
写真:グレッグ・ユーイン
南アフリカの歴史あるサーフィン雑誌“ZIGZAG”誌の発行人であるアンディ・デイビスは5回目となるマダガスカルのサーフトリップだったが、今回は豪華な41フィートのカタマラン、エンドレスサマー号での航海となった。TTs、ボロス、フレームボールズ、ジェリー・ベイビーズなどなど、ほとんどサーフされたことがないポイントのブレークを満喫した。

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